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徳本一善(駿河台大学駅伝部監督)の経歴と現役時代を調査!

人物
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2024年1月2日と3日に開催された箱根駅伝に出場した駿河台大学

箱根駅伝は往路14位、復路21位、総合18位という結果に終わったのでした。

1月12日(金)20時から放送される「ウワサのお客様」ではレジェンド寮母駿河台大学駅伝部に出張し豪快飯を作ってくれたそうです。

駿河台大学駅伝部監督徳本一善監督で、現役時代法政大学のエースとして活躍した人です。

茶髪にサングラスという箱根駅伝史上初の姿で走り、異端児として有名なお方なんです。

そんな徳本一善監督について下記を調べてみました。

  • 徳本一善(駿河台大学駅伝部監督)プロフィール
  • 徳本一善(駿河台大学駅伝部監督)の経歴
  • 徳本一善(駿河台大学駅伝部監督)の現役時代

それではさっそく一緒に見ていきましょう!

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徳本一善(駿河台駅伝部監督)プロフィール

出典:www.surugadai.ac.jp

  • 名前:徳本一善(とくもと かずよし)
  • 生年月日:1979年6月22日
  • 年齢:44歳
  • 出身:広島県広島市佐伯区
  • 学歴:法政大学社会学部卒、順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科修士課程修了

徳本一善監督は広島県出身で、同じく広島県主審の青山学院大学駅伝部の原晋監督を慕っており、一緒にお酒を飲む仲なんだそうです。

徳本一善監督の長男、陽(ひなた)さんも長距離の全国レベルの選手で、今春青山学院大学に進学予定とのことです。

父のいる駿河台大学は選ばなかったんですね。

息子さんんが、強豪選手の集う青山学院大学に進むことについて、原晋監督を信頼していることと、息子さんの決断にエールを送っていました。

高校までは駅伝に興味がなかったと言う徳本一善監督

中学の陸上部では中距離メインだったのが中学2年生の頃から長距離に転向すると才能が開花し、大学進学時は各大学からひっぱりだこになりました。

最初は関東に行く気はなかったのですが

一つ年上の為末大さんが法政大学に行ったため、徳本一善さんも法政大学に進学を決めたそうです。

大学在学時、箱根駅伝には4年連続で出場しています。

当初1500mの記録更新を目標にしていましたが、長距離でチーム上位のタイムを持っていたことから箱根駅伝で走ることを余儀なくされました。

現役時代については詳しく後述しますね。

現在徳本一善さんは駿河台大学駅伝部の監督として活躍しています。

2024年1月2日と3日に開催された箱根駅伝は駿河台大学は2年ぶり2回目の出場で、往路14位、復路21位、総合18位という結果でした。

箱根駅伝に出場できるだけでもすごいことです。

そんなチームを率いる徳本一善監督についてもっと深く見ていきましょう。

徳本一善(駿河台駅伝部監督)の経歴

出典:www.ntv.co.jp/hakone

徳本一善監督の経歴を調べたところ、監督になるまでもずっと陸上競技に携わり、走っていたことがわかります。

社会人として競技から離れてから監督に就任する人もいる中で、徳本一善監督は陸上一筋だったということですね。

  • 2002年~2012年 日清食品グループ陸上競技部プロ契約選手
  • 2012年~ 駿河台大学陸上競技部駅伝監督

徳本一善監督は法政大学卒業後は日清食品に入社しました。

日清食品陸上部監督の「自分らしく競技できるのが一番いいんだ。お前は金髪が似合う。それでいいじゃないか。」という言葉に惹かれたそうです。

徳本一善さんらしいですね。

日清食品では主に長距離走・駅伝で活躍しました。

【主な成績】
2003年と2004年日本選手権5000m優勝
2006年 東日本実業団対抗駅伝総合優勝(7区1位)
2007年 全日本実業団対抗駅伝総合3位(2区6位)、東京マラソン5位
2010年 ニューイヤー駅伝総合優勝(6区2位)

自己ベストは以下の通りです。

【自己ベスト】
1500m 3分40秒40 (2003年 日清食品)
3000m 7分53秒58 (2003年 日清食品)
5000m 13分26秒19 (2003年 日清食品)
10000m 28分13秒23 (2003年 日清食品)
10km 31分54秒42 (2008年 日清食品)
ハーフマラソン 1時間03分36秒 (2008年 日清食品)
マラソン 2時間14分48秒 (2012年 モンテローザ)

2011年から駿河台大学駅伝部のコーチを務め、その後監督に誘われたのですが、何回か断っていたそうです。

当時の山崎善久理事長がすごく期待してくれて、箱根駅伝にいくためにとことんやることを応援してくれたので監督を引き受けたそうです。

2012年から駿河台大学駅伝部の監督に就任しましたが「モンテローザ」の社員として現役選手も続けました。

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徳本一善(駿河台駅伝部監督)の現役時代

出典:www.ntv.co.jp/

こちらでは徳本一善監督大学の現役時代について詳しく見てみましょう。

【自己ベスト】
800m 1分51秒87 (1997年 高3)
20km 1時間00分08秒 (1999年 大学2年)

箱根駅伝は4年間ずっと出場しました。

【箱根駅伝】
1999年1区10位
2000年1区1位
2001年2区2位
2002年2区途中棄権

茶髪にサングラスで箱根駅伝を疾走

徳本一善さんと言うと箱根駅伝で茶髪にサングラス姿の現役時代を思い出す人が多いでしょう。

目立ちたがり屋、ビッグマウスなところから誹謗中傷が多くあったそうです。

ですが、その出で立ちで2年生の時に1区区間賞を取るなど実力もあり興味深い方ですよね。

箱根駅伝を1年生の時に初めて走った時、そのスケールの大きさに感動し、スポーツ選手としての価値を高めるならこの大会だとスイッチが入ったと言います。

名前を知ってもらうには区間賞をとるだけではダメだ、と2年生からは髪を染めてサングラスをすることでインパクトを与えようと思ったそうです。

3年生からはさらに明るい、大学カラーのオレンジ色の髪色でした。

当時サングラスで出場する選手は皆無だったため度肝を抜きましたが、

今ではサングラスで走ることは奇抜とは思われませんから、徳本一善さんがきっかけと言えます。

ちなみに、東洋大学では箱根駅伝でのサングラスは禁止されています。

全国から応援してくれる人に、表情を見せることで熱意を届けたいからという理由だそうです。

そのように、学校によってサングラス着用に対する決まりは違いますが

選手が自由に自身を表現することに貢献した人なんだと思いました。

このようなサングラスをつける選手は徳本一善さんだけかも?

ただの目立ちたがり屋というわけでなく、

悪ぶってみせたり、大きなことを言ったりすることでどう世間が反応するのかを客観的に見ていたと言います。

よく思わない人もいることをわかった上での行動、言動だったと自身は言っていました。

大学4年時の箱根駅伝は途中棄権

徳本一善さんは大学4年の時キャプテンを務めています。

箱根駅伝では1週間前に右アキレス腱を負傷。

エースとして2区を走りましたが、5.4km地点で右足に肉離れを起こしてしまい、途中棄権となりました。

徳本一善さんの当時の個人サイトの掲示板は、罵詈雑言であふれかえり、大炎上します。

非国民のような扱いを受けたと言います。

日頃からよく思わなかった人々が「それ見たことか」と言わんばかりだったようです。

そんな世間の声も冷静に受け止めて次に生かそうと思ったという徳本一善さんは、それからは次第に強気な発言もなくなっていき、丸くなっていきました。

途中棄権した時、チームメイトに申し訳ないと泣いて悔いたそうで、当時日テレアナウンサーだった羽鳥慎一さんは戸塚中継所で待ち構えていたものの、「今のお気持ちは?」と聞く雰囲気ではなかったようです。

何が起こるかわからない箱根駅伝。

最後は途中棄権という形になりましたが、きっと現在の指導に生きているんでしょうね。

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徳本一善(駿河台大学駅伝部監督)の経歴と現役時代を調査!まとめ

駿河台大学駅伝部徳本一善監督について下記のまとめです。

  • 徳本一善(駿河台大学駅伝部監督)プロフィール
  • 徳本一善(駿河台大学駅伝部監督)の経歴
  • 徳本一善(駿河台大学駅伝部監督)の現役時代
  • 徳本一善監督は広島県出身の44歳で、現在は駿河台大学駅伝部の監督
  • 駿河台大学駅伝部徳本一善監督は法政大学卒業後日清食品に入社、2012年から駿河台大学駅伝部の監督に就任している
  • 徳本一善の現役時代は法政大学エースで箱根駅伝に4年連続出場
  • 箱根駅伝では派手な髪色とサングラス、ビッグマウスで有名。派手なだけでなく区間賞を取るなど実力もあった

以上でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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